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なぜ、Kplanが地域密着を大切にしているのか――。その理由をご説明するにあたって、当社の歴史をご紹介するのがもっともふさわしいかと思います。
一企業として、一建設会社として地域の方々に必要としていただくこと。その繰り返しが当社の歴史となっています。代替わりを経ても変わらずにお付き合いをいただくお客様が多いことは、Kplanのいちばんの誇りです。
そしてKplanでは「建てたらおしまい」といった無関係な仕事はいたしません。自分たちが手掛けた物件の管理業務にも力を入れており、建物のメンテナンスはもちろんのこと、常にお客様の近くにあってさまざまな困りごとへの対応や相談にのっています。
当社代表取締役社長・岸本吉二が、創業を果たしたのは昭和40年代後半。いわゆる「マイホームブーム」がまだまだ勢い盛んなころであり、私たちも木造住宅を主力業務に据えながら、古くから地元で土地を持っている地主さんなどからのご要望に応えてきました。おりしも、創業の地・尼崎や伊丹、西宮といった阪神間一帯のベッドタウン化も進み、地域の発展とともに企業としての基礎を固めていきました。昭和57年4月には(株)岸本建設へと組織変更を行いました。
右肩上がりで伸び続ける経済、そして土地神話――。列島を巻き込んだ不動産ブームの際に、当社も急激な拡大戦略に舵を切ることとなりました。分譲マンション開発を全国各地で手掛けることとなり、本社・尼崎のみならず金沢、松山、そして海外進出となる韓国へも出店を果たしました。しかし、その先に待っていたのはバブルの崩壊……。企業としても大きな借金を背負うこととなりましたが、自分たちのアイデンティティを見つめなおすちょうどいい機会になったと現在では捉えています。
平成7年1月17日、神戸を中心とした近畿地方一円を激しい揺れが襲いました。阪神淡路大震災です。ライフラインはいたるところでストップし、正直なところ業務どころではありませんでした。そのときに私たちの頭に浮かんだのは、これまで手掛けてきた数々の戸建て住宅やマンションのことでした。震災で被害を受けて困っているお客様がいるのではないだろうか。社員が手分けして1軒ずつをまわり、ときには屋根に上がって補修工事を施すなど可能な限り無償で対応をさせていただきました。そのときにお客様からいただいた感謝の言葉は忘れることができませんし、あらためて「地域密着」のスタイルを徹底していこうと決意いたしました。その後、賃貸マンションの請負業務を中心に個人客様からの戸建て・リフォーム等に特化することとなりました。
いま、日本では高齢化社会に向けての備えが各方面でなされていて、住宅に関しても同様です。岸本建設は次の時代を見据えて、高齢者住宅分野にも積極的に取り組んできました。そこで暮らす高齢者に安心・安全を届けるにはどうすればいいのか、スタッフが動きやすい動線とはどのようなものなのか、高齢者住宅には特有の難しさもありますが、むしろ私たちの技術や創意工夫が発揮できる場面も多くあります。今後は、高齢者住宅という新たな自社の強みを生かしながら、賃貸住宅、戸建て、リフォームなどこれまでの歴史のなかで重ねてきた経験を生かし、令和2年に社名を株式会社Kplanへと変更し、未来へと歩みを進めて参ります。